認知症の、認知症による、認知症のための、、、

 

「認知症と暮らす」というテーマのインタビュー記事が目に止まりました。

 

 

話し手は、精神科医の長谷川和夫さん。認知症の検査法を確立したことで知られる、認知症研究の第一人者です。

89歳(取材当時)の氏が、自身も認知症を発症したことを公表。

どの家庭でも、80代になった高齢者がいれば、もの忘れをしたりすると「そろそろ認知症かな」と言い合ったりするものでしょう。

しかし、長谷川和夫さんの場合は専門家であり、「おかしい」と気付いてから検査を重ね、診断を受けることになります。

認知症は千差万別でもあり、長谷川さんのケースでは「一般高齢者の“もうろく”に近い状態」としながらも、それが高齢を理由にした健常的状態ではなく、病気であると診断され、それを彼も受け入れたということです。

認知症の研究者が認知症になっても普通に暮らしていることを知ってもらいたいと思い、発症を公表しました。認知症になって喜んでいるわけではないけれども、悲惨でもない。「認知症になっても大丈夫なんだ」と思ってもらいたいですね。

 

認知症のパーソン・ケンタード・ケア

このインタビューで長谷川さんは“パーソン・ケンタード・ケア”について触れています。

認知症であれなんであれ、同じ目線で話をして、同じ人間として向き合う理念は、言うは易く行うは難しでしょう。

相手側の立場になったからこその説得力が、このインタビューにはあると感じました。

老いや病気を認めたがらないのは、それが周囲に違う目線を引き起こすきっかけになってしまうから。

周囲の目線に問題があるのですから、自分でいくら考えや気持ちを変えても、事態が好転する可能性は少ないわけです。

周囲の目線の問題は周囲が変えなければ変わらない。

こうした“声”が、認知症医療や高齢者介護の現場感を変えていくことを期待したいと思います。