これからの時代の死をサポートする宗教観について考えたくなった

この記事をざっくり説明すると……

 

思うところがあって、少し内面の勉強をし始めているワタシです(笑)。

 

死ぬということは、人間というか、生物にとっては避けられないこと。

だからといって、素直に受け入れることができないのは、本能が生の側にあって死にないからでしょう。

 

そうでなければ、死が恐怖となるはずがなく、それから逃れるための“方便”を必要とするはずはなかった。

 

臨床宗教師という存在

 

そんなことを考えていたところに、臨床宗教師という存在が注目されているというニュース。

 

 

この記事は、岐阜のある市、50代の院長先生と、80代の患者さんのエピソードから始まります。

患者のおばあちゃんにまたがんが見つかり、幸い術後の経過も順調でしたが、帰宅しても最近息子を亡くして一人暮らし。

そんな喜べない状況におばあちゃんは重い鬱の状態になってしまったそうです。

院長は、病気(がん)は直すことができて、予後もケアできるけれど、患者さんの精神的な痛みは手が届かないと感じます。

そこで、宗教的なアプローチが効果あるのではというこ話に展開していくわけです。

 

スピリチュアルペインをどのようにケアするのか

 

そうした精神的な痛みは、スピリチュアルペインと呼ばれています。

この例で紹介されている岐阜県大垣市の沼口医院では、2014年4月からスピリチュアルペインを担当する専任のスタッフを採用。

その担当者が、臨床宗教師。

採用された人は地元の寺の跡継ぎで、真宗本願寺派の僧侶です。

週に3〜4回ぐらい患者さんを訪問し、話を聞きます。僧侶であることから仏壇に経を上げたりもするとか。ここ、ポイントかもしれませんね。

このおばあちゃん、ベッドで伏せっていることが多くなっていたところ、この臨床宗教師の訪問を受けて、ベッドから起き上がり、一緒に仏壇に手を合わせるようになったそうです。院長の診察には笑顔を見せるようにもなっているとか。

 

医療と宗教の関係性

 

病院とお寺は、実はそれほど遠い関係ではなかったのではないでしょうか。

ただ、あくまでも表と裏で、ビジネス的には延長線上に並んでいながら、そうは思わせない、いや、思ってほしくないというバイアスがかかったまま百年以上が過ぎてきてしまったという感じがします。

その関係性を大きく変えようとしているのが、臨床宗教師という新たな名称なのではないでしょうか。

アメリカでは医療機関だけでなく、軍隊や警察など修羅場に出動する職場(教師を含む)に配属される「チャプレン」という聖職者がいるそうです。「チャプレン」はカウンセラー以上の存在&対応をするようです。

仏教では「ビハーラ僧」と呼ばれる、同じような役割を担う存在がいるとか。

こうしたモデルを元に、大きく展開したのが東日本大震災後の心のケア活動だったようです。

 

まとめ

 

東日本大震災後の心のケアでは、各宗教家たちがさまざまな活動を展開していることを、時折耳にしていました。

ミュージシャンのコンサートや有名人の炊き出しが大きくマスコミに取り上げられるのに比して、こうした活動はなぜかタブー視され(ているように感じます)、なかなか表立って報道されなかった印象があります。

ただ、有名人の来訪がカンフル剤だとすれば、リハビリに付き添うのが宗教家(あるいはそれに準じる存在)の役割だったりするのかなぁと思うのです。

この役割、ちょっと調べてみたいと思います。