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ポスト・コロナ禍でリモート化が促進する場合に“村社会”は対応できるのか?

この記事をざっくり説明すると……

コロナ禍の影響で、生活様式がダイナミックにシフトすることが予想されています。

リモート・ワークが前提になれば、これまでの首都圏集中型の生活様式は覆され、過疎地への移住が促進されるかもしれません。

もちろん、過疎地の行政サービスにある数々の問題点は、人口の分散化で解決できるものではなく、そうした課題とも移住者は向き合わなければならなくなるでしょう。

それ以上に、移住者の前に立ちはだかるのが、先住者との折り合いではないかと思います。

“村社会”でのマウンティング問題

どの社会でも、真っ平らな平等が実現することはなく、なんらかの上下関係は発生して、また、それが必要でもあります。

しかし、えてしてそれがしきたりとなり、形骸化して参入阻害の原因となったりもします。

しきたり化させるのは、おそらく迷惑行為の前例があったからだと思われます。

新規参入者がコミュニケーション不足の状況で、それまで先住者が避けてきた行為を実施してしまう──。

不文律は新参者が頭を垂れて教えていただくもので、知らないほうが失礼であるということもまた不文律だったりします。

海と山の違いはある?

狩猟民族と農耕民族では、土地(エリア)に対しての執着の違いが、参入者に対する態度にも表われるという意見があります。

この記事も、そうした論旨で語られていると感じました。

しかし、最近見たノンフィクション番組では、そうでもないことが示されていました。

2018年放送の番組の再放送だったようですね。

村長選にも発展しかねない(実際には発展“させなかった”ようです)問題で、漁協長はこの問題を無視、という感じの映像になっていました。

この島牧村で問題になっていた猟友会の熊駆除の費用については、国から8割を補填する補助があるので、税金の無駄遣いにすり替えられた部分にも問題があるようです。

漁業に関しては、漁場の管理が厳密に決められていて、その点では農地と同様の感覚があると考えられます。

私もだいぶ前に明石のタコ漁の取材をした際に、本州側から四国側まで、一間(約1.81メートル)単位で仕掛けを置くことのできる場所が決まっていて、その権利は原則として相続されるという話を聞いて驚いた覚えがあります。

もちろん、収穫する権利はあっても、天候や生き物相手での不安定さはあるので、利益が保証されるわけでないことも農業と同様です。

こうした不安定さが、権利を守ろうという意識に強く働き掛けていることも十分に考えられるところではあります。

移住者が注意すべきことは?

こうした状況であることをふまえて、新規参入をするということを考える必要はあるでしょう。

過疎地に「行ってやってる」「住んでやっている」という考え方では、仲良くできるはずがないことはもちろんなのです。

「住まわせていただく」という感覚は、対人間にではなく、対環境や対自然に対して、もつべきものではないかと思うのです。

そうした心構えがあれば、それが態度に表われて、周囲の人ともストレス無く関係を築くことができる──。

先住者におもねることが「住まわせていただく」ことではないのはもちろんなのですが、相手のスタンスを知ることもまた、自分がその地で生きようとする場合の“間合い”を考える重要な情報源だと思っています。